今年は平清盛ドラマの話題から、駅などで清盛関連の観光ポスターをよく見かける。そういえば日本各地には平家ゆかりの史跡が数多くある。最近の観光ガイドには載らなくなったが、京都は東山にある「哲学の道」から少し外れた所に鹿ヶ谷という土地がある。平家物語に拠れば平家打倒を目指した世に名高い「鹿ヶ谷の謀議」がなされた地である。藤原成親、西光法師、平康頼、俊寛僧都らが関わったが、謀略は密告によって露見し、清盛の命によって関係者は捕らえられた。まもなく成親は罰せられ、その子藤原成経、平康頼、俊寛僧都の三人は薩摩沖の鬼界が島に流罪となった。のちに清盛の娘
中宮徳子の懐妊に際して、怨霊退散の祈祷と同時に行われた流人に対する恩赦により赦免となった。しかし俊寛だけは赦されず島に残され、そこで没した。平家物語「足摺り」にて描かれた、ひとり取り残された俊寛の無念は、謡曲の題材にもなっている。後に大近松が、俊寛が残ることになる経緯に脚色を加えて人形浄瑠璃の平家女護島を書き下ろした。
昭和5年正月に四ツ橋文楽座の竣工記念興行の折、二代古靱太夫によって永らく途絶えていた平家女護島「鬼界ヶ島」の復興がなされた。明治期に上演された改作物の伝承を丹念に調べ上げたそうであるが、以来昭和、続いて平成と度々上演されることとなった。趣向や人物像が現代的なこともあり、若い人向けや海外公演などでもよく取り上げられている。紋下格の人たちによる伝統的な芸道の継承に加えて、文楽が世代や国を越えた普遍的な面を育み現在につなげてきたことは、昭和期ならではの手柄の一つなのだろう。
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2012. 4. 15 大枝山人