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竹本筑後掾(義太夫)肖像

正徳五年(1715)九月 竹本座にて上演せし「豊年秋の田」より  竹本義太夫二百二十年忌記念絵葉書


特集23 編集後記

                      

 江戸末期の幕臣を中心とした小説を読んでいると、米や露と開国の交渉が行われている安政年間に大きな地震の描写があり、甚大な被害を被ったことを想像させる。当時は、実際に外交や内政と大変な激動期であったであろう。
 同じ頃、義太夫界を見ると、偶然にも二代団平が中興の祖 三代長門太夫に抜擢され、表舞台に登場してくる。団平は、近代のはじまりと共に二代越路太夫のちの摂津大掾や三代大隅太夫ら同時代人と近代の人形浄瑠璃という坂を上っていく。逸材が集まり、都市が発達し、明治ナショナリズムの高まりもあって、いわゆる天・地・人が揃い、人形浄瑠璃の一時代を築いている。ちなみに摂津大掾や大隅太夫の語りについては、平円盤・SPレコードの誕生に間に合い、LP集「日本芸能全集 名人の面影」や最近の復刻CD「邦楽芸能全集」で前近代の心性が残る音源を聴くことができる。
 その後を引き継いだのは、三代越路太夫、三代清六、三代津太夫、別系統の六代土佐太夫、さらに少し若い世代の二代古靱太夫、七代源太夫らといった面々である。おそらく、彼らの時代は近代化した日本語環境や西洋音楽、モダニズムの洗礼を受けたものなのか、時代の精神性はぐっと現代に近くなる。大正末にはラジオ放送も始まり、昭和になってレコードが電気吹込みと、技術革新で音声をめぐる環境も大きく変わった。昭和初期には三代津太夫・六代土佐太夫・二代古靱太夫の三巨頭による語りとモダンな建築の文楽座開場で沸きかえり、戦後は山城少掾受領を旗印に文楽座が復興を遂げる。この間、SPレコードの量と質が充実している。三代越路太夫の声は残っていないが、先日から国立国会図書館でも「歴史的音源」という電子図書館の企画も始まった。現在、三代津太夫や七代源太夫、二代つばめ太夫(八代綱大夫)などが音源リストにある。
 時が経てば見えてくることもある。昭和の半ばに、山城少掾かぎりで紋下という権威は失われてしまったが、文楽は、卓越した至芸の継承や自らの鑑賞力の深化を期待している人々に支えられて、昭和後半も社会に寄り添い移り変わってきたことを感じさせる。それが伝統芸能というものなのだろう。そして国立文楽劇場開場から20年を経た21世紀初頭、文楽人形浄瑠璃は劇場の経営母体が財務的にバランスをとった独立行政法人になると共に、世界無形遺産という普遍的な概念に結びつくことになった。理知的な人材養成の実践と新しい世代の鑑賞者向けの試みを模索しながら、文楽人形浄瑠璃は確かに新しい時代に移った。

 さて今回も、特集におつき合い頂き有り難うございます。古靱・清六のニット−盤復刻記念の企画から引き続き二代古靱太夫を取り上げています。古靱太夫は、襲名から山城少掾として引退するまでのほぼ全ての活躍時期がSPレコードの製造期と重なったこともあり、アップされた音源と復刻がされている昭和前期までの音源で時系列を追えます。次の特集も、ニット−レコード以前の古靱太夫に関連したものを考えていますので、しばらくお待ち下さい。今後とも、宜しくお願い致します。最後に。歴史的な大災害が、自分の生きている間にこう何度も起こるとは全く予期しないことでした。東日本大震災から半年になりますが、何としても立ち直ってほしいですし、様々な思いを未来に伝える重要性を痛感しています。

  2011. 9. 8 大枝山人