大正二年、明治期の大名人三代竹本大隅太夫は、台湾巡業中に台南の病院で没した。その伝聞するところは、「名人のおもかげ」資料を見ていただくとして、台湾でも大切に扱われたようで、亡くなったあと台北新起街の本願寺で盛大に葬儀が行われ、三板橋日本人墓地に墓まで作られた(義太夫大鑑 秋山木芳)。その後遺骨は、日本に帰還し、大阪の谷町九丁目近くの宝樹寺に墓がある。最近、台湾に行く機会があり、台北の三板橋跡を訪ねてみた。今は、中山の新光三越から歩いて少しのところにある林森公園という市民の憩いの場所になっている。家族連れやぺットと遊んでいる人が楽しそうに過ごしていた。また、公園の片隅には、旧日本軍人ゆかりの鳥居が名残りとして建っていて、その辺りだけゆっくりとした時間が流れていた。三代大隅太夫のことは、その劇的人生を題材に芸阿呆という作品までつくられているが、二代団平から傾城反魂香
吃又の段をはじめ多くの浄瑠璃を叩き込まれた難行苦行の時代、紋下として全盛を誇った日々、病気をして興行がうまく行かなくなった晩年、仲間と台湾へ巡業し再起を夢みながらの最期。そんな話も令和の世からは、遠い昔の事になってしまった。
毎度おつき合いいただき有り難うございます。今回の特集は、国立文楽劇場開場三十五周年記念 特別企画展示「紋下の家−竹本津太夫家に伝わる名品−」に関連して、三代竹本津太夫
六代鶴澤友治郎の追加音源を取り上げました。吃又の段は、改作物の名筆傾城鑑のレコードの音源です。吃又の段は語り方に工夫が必要で三代津太夫は、師匠から「大隅さんか清水さんに教へてもらへ」と言われたとの事。それとは別に紋下の家名品の中にも越前大掾から伝わる語り方の口伝が残されています。偶然にも迎える新年に六代錣太夫襲名披露狂言ともなり、楽しみな新春であります。
次回の特集も考えております。今後とも、宜しくお願い致します。
2019. 12. 7 大枝山人