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生写朝顔話 宿屋の段 戦前写真

                   


特集35 編集後記

 台風が過ぎ、唸るような蝉の声が本格的な夏の到来を告げた昼下がり、たまたま見たWEBニュースの訃報に息を呑んだ。

 源大夫師は、隙のない端正な義太夫を語った人であった。文楽座への初出勤は、住大夫師と同じ昭和21年8月。以前に紹介した番付(特集31編集後記)の野崎村ツレに「織の太夫」とある。それから、因会所属、嫩会で頭角を現し、昭和38年に五代織大夫。近松物の継承者ということであるが、理知的な語り口から当方個人的に何でも好きであった。平成8年に九代綱大夫。近年の朝顔話の舞台でふと思い出したのは、代表するものではないが、綱大夫・清二郎で語った「船別れ」の姿。6年ほど前で、すでに体が悪くなり声が出てなかったが、それでも折り目正しい語りで風格を感じさせた。そして、震災の年に九代源大夫襲名し、昨年引退。まだまだ芸の継承をお願いしたかった。

まったく68年間花を咲かせた桜の老木が静かに一生を終えたようである。心からご冥福をお祈りします。

参考: 織大夫夜話(東方出版)

2015. 7. 25 大枝山人