暑さ厳しい夏が到来した。関係の方々には、くれぐれもご自愛いただきたい。夏季休暇も間近になったが、最近は、様々な聖地巡礼が拡大してきたようである。願掛けや鎮魂だけでなく、癒しを感じることができるからだろう。文楽の内子座公演もそんな一つかもしれない。
古くからの巡礼の地に、西国三十三ヵ所観音霊場がある。浄瑠璃でいえば、壺坂観音霊験記の沢市・お里で有名な壺坂寺もその第六番札所である。この浄瑠璃は、お寺のプロモーションでできたものかと思い込んでいたが、「明治大正の民衆娯楽」という本(倉田喜弘 岩波新書 1980) を読んで、少し違った経緯であることを知り、驚いたものである。明治四年に松本喜三郎という人が浅草奥山で生人形による西国三十三所観音霊験記の見世物興行を催した。生人形は、博物館などで時々展示もあったのでご存じの方も多いと思われるが、芸術と少し違った出発点を持ちながら、美術品の域に達したものである(日本美術の歴史 辻惟雄 東京大学出版会 2005)。現代でいえば、フィギュア、人型ロボット、バーチャルアイドル、といったオタク的な要素をもった創造物といったところか。のちに喜三郎は、上記の刷り物のように明治十二年大阪の千日前で興行することがあった。その大人気にあやかって作られたのが、壺坂観音霊験記の原型「西国三十三所観音霊場記 壺坂寺 沢の市住家」である。
二代豊澤団平は、松島文楽座に対抗するため、生人形ブームにのって曲付けをしたようだ。その後、明治二十年に再び大阪で喜三郎による生人形の興行があり、この時に合わせての彦六座興行でさらに本格的に編曲を行い「三拾三所花野山 観音霊験記 壺坂寺 沢市内」が出来上がり現在につながる。当時は誰もが知っていた御詠歌や地歌を借用した重層的な作曲となっている。既聴感や世界観を借用するはやり歌の曲作りに共通した手法であり、伝統の継承と共に時代の先端をいく感覚を合わせ持っていたのであろう。話が大きくそれてしまったが、夏季休暇の聖地巡礼ということに戻って、今年の夏は、どこか巡礼に出かけてみよう。
さて特集29は、二代古靱太夫(山城少掾)のニットー盤で未復刻のものを取り上げました。また、今まで紹介した古靱太夫の音源を整理して未復刻音源集としました。その中で旧ビクター盤やライロホンは、結構聴けますが、その他は辛いものもあります。断片的にでも参考になれば幸いです。先週、素浄瑠璃の会に出かけてきました。語りで魂を感じることができる数少ない機会です。さすがに住大夫師はご不在でしたが、団平編曲の油屋や珍しい曲をじっくり聴けたことは幸いでした。魂の再来を今後に期待したいと思います。次回の特集は、企画を検討中です。今後とも宜しくお願い致します。
2013. 7. 14 大枝山人