どうも白戸家とは、同郷らしい。学校の遠足では決まってその実家の周辺から、佐々木小次郎が秘剣燕返しを修練した一乗滝のあたりを走りまわった覚えがある。後に、地域一帯の発掘と考証が進み、戦国大名朝倉氏の果たせなかった夢の跡や戦士の供養のための石仏群がそのまま保存されているタイムカプセルと知らされて驚いたものである。
越前には他にも多くの武将に関わる古戦場や旧跡があるのだが、朝倉氏先祖が入国するきっかけとなったものに朝倉氏が従った斯波高経方と新田義貞との戦いがある。新田義貞は、南北朝時代に後醍醐天皇方に味方し、足利氏と対抗していた武将である。「太平記」によれば、義貞は、延元3年(1338)に灯明寺畷という処にて悲運の戦死を遂げたと伝わる。それから三百年余り経てた江戸初期、明暦2年(1656)に、百姓が古戦場付近の田圃から古い鉄製の兜を掘り出した。それが、たまたま鷹狩りに来ていた藩士の目に止まり譲り受けて、四代目藩主松平光通に献上された。大将の兜がそのまま打ち捨てられていたとは考えにくいが、藩で義貞のものと鑑定され、兜の出土地には藩主によって石碑が立てられた(現在の新田塚)。当時、徳川氏が遠祖を新田義貞と定めたことから、お上の御威光ということで義貞ゆかりのものは徳川家や松平家から特別扱いされたらしい。
さて、国立文楽劇場の11月公演は、通し狂言 仮名手本忠臣蔵である。鶴が岡八幡宮にて新田義貞が最後に身に付けていた兜の検分と奉納、それに関わる人間模様からその大序が始まる。最近の大阪における騒動の火消しに、三業による四十七士が前宣伝をと出動していたが、初日公演でも主だった若手の奮起が感じられた。その他に、あらためて思ったことは、陰と陽、悪役は憎たらしくなければ、そして不運は嘆かわしくなければ、感動は深まらない。静と動、立ち止まっている姿に、そして動きのない所に、感じるものがあり訴えるものがある。通しは長時間にわたりますが、いろいろと楽しみましょう。
いつも特集におつき合いいただき有り難うございます。 今回は、初代道八を取り上げました。昭和に入ってからの電気吹込みのものは雑音も少なく、随分と聴きやすくなっていると思います。次回の特集は、企画を検討中です。今後とも、宜しくお願い致します。
参考: 福井県の地名 平凡社、 福井の意外史 読売新聞福井支局編
2012.11. 6. 大枝山人