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絵本太功記 尼ヶ崎の段 光秀:吉田栄三 戦前写真

                   


特集49 編集後記

         

 墓参りの帰りに明智神社(あけっつぁま)という所で休憩した。そこは朝倉家に仕えた頃の明智光秀の館跡と伝わっている。一乗谷につながる旧街道沿いにある静かな農村にある。ひと昔前の一乗谷のように国破れて山河ありといった風情で遺物は土の下なのだろう。祠は明治になってからの創建であるが、ご神体の明智光秀公坐像は、屋敷跡地に住む農家三軒によって四百有余年密かに守られてきたものである。数ある戦乱から命や田畑が無事だったのは光秀公のおかげと伝わったのだそうだ。しかし本能寺の変で逆臣となったため三軒の農家のご先祖たちは四百年代々隠れて奉らなければならなかった。ようやく平成の世になって奉賛会が組織され地区全体でお祀りするようになった。当方も郷土史はほぼ熟知していると自惚れていたが、最近までまったく知らなかった。改めて人の伝承の力に驚かされた。

 今回の特集は、二代鶴澤觀西翁と三代鶴澤寛治郎による沼津の段の前半を紹介しました。沼津の音盤は、三代津太夫と六代友次郎による決定版がありますが、觀西翁のものは枯淡の趣を感じるものです。次回は後半をお送りします。今後とも宜しくお願い致します。まもなく劇場の公演再開も予定されていますが、新型感染症が再び拡大していますので皆様くれぐれも御自愛ください。

2020. 8. 10 大枝山人