太夫・三味線の系譜特集


竹本大隅太夫(三代)

五代春太夫門、後に二代越路太夫預かり。初名、春子太夫で、明治17年に三代大隅太夫を襲名。大正2年7月没。彦六座、稲荷座にあり、二代団平によって鍛え上げられたことは、もう有名な話であり数多くの文献に引用されている(特に武智鉄二氏の著作では劇的に書かれているが)。このような厳しい修業により当時としては写実性を持った芸風を確立したらしい。2代団平死後は、明楽座、文楽座、堀江座(紋下)、近松座(紋下)を経て、その間に三味線は3代鶴澤叶(のちに三代清六となり二代古靱太夫とコンビを組む)、三代豊澤団平と変わった。そしてここに、二代団平-三代大隅太夫-三代清六-二代古靱太夫とつながる芸の糸ができることとなる。しかし、大隅は摂津大掾と違い生涯恵まれず、晩年には脳梗塞を患い、芸も衰えて巡業先の台湾にて逝去と寂しい一生となった。そのレコードはニッポノホン、コロンビア、キングで出されている。

豊澤団平(三代)

明治4年二代団平入門、明治12年源吉、明治33年四代仙左衛門、明治40年三代団平襲名、大正10年5月没。二代団平の弟子で、道八芸談には源吉として登場する。堀江座で紋下三代大隅太夫を弾き、三代団平となる。文楽座とは関係を持たなかった為か、参考にできる資料は少ないが、腕がよかったことは、当時の新聞記事等の評によってうかがえる。道行を得意とした。三代大隅太夫のあとは太夫に恵まれず、錦太夫と組んで身振浄瑠璃に参加しているが、その後引退している。レコードは三代大隅とのもの(ニッポノホン、コロンビア)がある。