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十代若太夫 

十代豊竹若太夫関係のものを展示します。昭和期後半に続く発端に位置する人です。


番付 昭和23年 三代呂太夫

昭和23年10月 安宅関 勧進帳の段 武蔵坊弁慶 豊竹呂太夫(後の十代若太夫)中座にて。文楽座総出演、組合問題からこの月に座分裂が決定的となる。奇しくもここから長く苦痛のともなった組織の近代化が始まることとなった。

SPレコード1 昭和期マーキュリ−

SP末期録音 マーキュリ−レコード 仮名手本忠臣蔵 九段目 豊竹若太夫・鶴澤綱造。

SPレコード2 昭和初期キング

 相三味線綱造師の過去のレコード。 キング 堀川 三代津太夫・綱造。晩年の紋下三世津太夫とも相三味線として組んでおりレコードの吹き込みも行っている。豪放と強腕の組み合わせの継承を感じる。

手ぬぐい 若大夫

豊竹若大夫の名前入り、若竹の図柄、配り物か公演のお土産か?

雑誌 文楽(戦後)から記事と表紙

大西利夫氏の記事においては、昭和23年に顕在化した文楽座労働組合問題の経緯についての解説と文楽座の存亡の危機について論評されている。後年、組合派の三ツ和會では喜左衛門師が中心となり、左翼と決別し政治的に中道を歩んでいく。全体を見渡すと、労働組合問題は座の近代化運動の一端であり、結果として組織・制度の解体と再構築を伴った道であった。そこでは、紋下制度すら過去の物にしてしまった。

雑誌文楽(戦後)、昭和23年11月 第3巻9号、文楽はこの号の後『芝居手帖』に改題して続く。内容は文楽芸術の体裁の継承であり、文楽や歌舞伎のニュースや評論が載る。素義会とは独立した演劇雑誌である。

パンフ 三ツ和會 若太夫襲名披露 京都公演

昭和25年12月 三ツ和會 若太夫襲名披露公演 京都宮川町歌舞練場 合邦内の段 豊竹若太夫 鶴澤綱造。同年8月に三ツ和會と名乗りをあげ、三越劇場を本拠とした。